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15件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2020-06-22 第201回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号

そして、そのアイヌ北方領土に元々先住民族として住んでいたと、こういう事実をもって、やはり北方領土我が国固有の領土だ、言ってみれば倭人よりも先に住んでいたアイヌ人がいたというこの事実をしっかり受け止めてこれからの交渉に生かしていただきたいというふうに思いますが、大臣の見解を伺います。

勝部賢志

2010-02-25 第174回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号

それで、さっきの銅鏡の話ですけれども、これは本当に分析すれば、魏志倭人伝に出ている卑弥呼への銅鏡百枚のものなのか、それとも、そのうちの、送られてきたものを日本で鋳型をつくって、日本でつくった彷製鏡になるのかとか、分析すればわかるわけなんですよ。やはりそういうことをきちんとやっていくというのが大事ではないかということを言っているわけです。  

吉井英勝

2008-03-28 第169回国会 参議院 予算委員会 第15号

魏志倭人伝の中にも、対馬国、一支国とはっきり明示をされております。また、遣唐使の時代にあっては、五島列島の三井楽から最後の船出をしていきました。また、元寇、蒙古襲来の折には、大変な我が県犠牲を被りましたけれども、そういう我が長崎県の離島、半島地域が防波堤になってこの国土を守ったというような歴史もございます。  

大久保潔重

1994-06-21 第129回国会 衆議院 内閣委員会 第4号

まさに魏志倭人伝に言う、あの卑弥呼の国への道になるわけであります。そういうところでありますから、現在の朝鮮半島の緊張というのが、今から対話という方向にいくのかあるいは対決に向かうのか、我々は、私は少なくとも、皆さんと一緒に対話の実りあるものを期待するわけであります。  いずれにしても、先ほど個々の在外公館等危機管理について申し上げましたが、我々は危機管理については非常にぬるいところを持っておる。

虎島和夫

1989-11-17 第116回国会 参議院 決算委員会 第4号

しかも、そこには宮室、楼観城柵邸閣といった当時の倭人世界をほうふつとさせるものが発掘されておりますし、日本における国の成り立ちの状況を明らかにすることのできる具体的な史料をたくさん持って今に姿を あらわしておるわけでございます。そこで、建設省にこの文化財の活用の問題についてお伺いいたしたいと思います。  

陣内孝雄

1984-03-09 第101回国会 衆議院 大蔵委員会 第5号

私が調べたところでは、一番古い文献は「魏志倭人伝」に載っております。これは三世紀でございますが、それをひもといてみますと、倭人伝のところに、倭人は、ハジカミだとかコショウだとかミョウガだとかいうものが自生しているのに、これを食事に用いることを知らない。ところが、「人性、酒をたしなむ」こう書いてあるんです。

正森成二

1966-06-23 第51回国会 参議院 文教委員会 第24号

これまで倭王が中国の皇帝に朝貢の礼をとっていたのを改め、対等な天子間の交際として話しかけ、また、倭王の倭は矮小の矮と同義でありまして、倭人すなわち矮小な人間の住む国というこのわが国の号が、軽べつを意味しておるというのでこれを用いることをやめる。「日出ずる処」、すなわち日本という国号を称されたのであります。隋の煬帝はこれを見て、「蛮夷の書、無礼なるものあり。

平田俊春

1953-07-04 第16回国会 衆議院 文部委員会 第7号

原田委員 大臣の御答弁で、私は、まことにけつこうであると思うのでありますが、貧弱な知識で恐れ入りますが、魏志倭人伝の中に女王卑弥呼という存在がある。それが当時魏の国に使いをして金印紫援の位をもらつた。それが隣国大国の隷属的な位に立たされておるから三国志は取上げてはならないのだという面があつたと思うのであります。

原田憲

1953-07-04 第16回国会 衆議院 文部委員会 第7号

たとえば日本書紀よりもさらに古い歴史を持つてつて、そうして世界的に相当権威のある——相当じやない、権威のある三国志の中に魏志倭人伝というようなものが書かれて、古代の日本歴史を書いておるのであります。そういうものを全然排撃するような形をとつて来ておる。こういうことであつてはならないと私は考えるのでございますけれども、大臣はどうお考えになりますか。

原田憲

1952-12-10 第15回国会 衆議院 法務委員会 第10号

山田証人 私が買いに行つたのは中央公論とか世界、改造、そういつた月刊雑誌、そのほかに「魏志倭人伝」というのもありますが、また「アンナ・カレーニナ」、「復活」とか、最近のあれでは「真空地帯」、「広場の孤独」、そういつたような雄志を主として買いました。要するに理論的なようなものですね、そういつたようなものを買つて来た記憶はありません。

山田善二郎

1950-03-30 第7回国会 衆議院 内閣委員会 第13号

そうして遂に函館に上つて、道のない險しいところを、野に宿して、噴火湾に出て、これよりずつと日本海にまた出まして、そうして小樽に行つて、札幌におちついたのでありますが、そのときにはたつた倭人が四人であつた。その四人で拓殖を始めまして、今日は一つもありませんけれども、東本願寺農場というものを至るところに興しまして、宗教というものと学問というものを中心にして、そうして北海道を開発いたしたのであります。

小川原政信

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