2020-06-22 第201回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号
そして、そのアイヌが北方領土に元々先住民族として住んでいたと、こういう事実をもって、やはり北方領土は我が国固有の領土だ、言ってみれば倭人よりも先に住んでいたアイヌ人がいたというこの事実をしっかり受け止めてこれからの交渉に生かしていただきたいというふうに思いますが、大臣の見解を伺います。
そして、そのアイヌが北方領土に元々先住民族として住んでいたと、こういう事実をもって、やはり北方領土は我が国固有の領土だ、言ってみれば倭人よりも先に住んでいたアイヌ人がいたというこの事実をしっかり受け止めてこれからの交渉に生かしていただきたいというふうに思いますが、大臣の見解を伺います。
それで、さっきの銅鏡の話ですけれども、これは本当に分析すれば、魏志倭人伝に出ている卑弥呼への銅鏡百枚のものなのか、それとも、そのうちの、送られてきたものを日本で鋳型をつくって、日本でつくった彷製鏡になるのかとか、分析すればわかるわけなんですよ。やはりそういうことをきちんとやっていくというのが大事ではないかということを言っているわけです。
魏志倭人伝の中にも、対馬国、一支国とはっきり明示をされております。また、遣唐使の時代にあっては、五島列島の三井楽から最後の船出をしていきました。また、元寇、蒙古襲来の折には、大変な我が県犠牲を被りましたけれども、そういう我が長崎県の離島、半島地域が防波堤になってこの国土を守ったというような歴史もございます。
まさに魏志倭人伝に言う、あの卑弥呼の国への道になるわけであります。そういうところでありますから、現在の朝鮮半島の緊張というのが、今から対話という方向にいくのかあるいは対決に向かうのか、我々は、私は少なくとも、皆さんと一緒に対話の実りあるものを期待するわけであります。 いずれにしても、先ほど個々の在外公館等の危機管理について申し上げましたが、我々は危機管理については非常にぬるいところを持っておる。
でも、先住民であるその貴重な歴史、これはもうお調べになってもおわかりですけれども、私もその一人ですけれども、倭人として入ったんです。もともと開拓した土地へ入ったんです。それで、明治政府が土地を取り上げたんですよ。
小売業というのは、これは昔々は市場で商いをやっておりまして、市のことは実は魏志倭人伝の中にも既に出てまいります。国々市あって有無交易すというのが邪馬台国の話で出てくるわけであります。
しかも、そこには宮室、楼観、城柵、邸閣といった当時の倭人の世界をほうふつとさせるものが発掘されておりますし、日本における国の成り立ちの状況を明らかにすることのできる具体的な史料をたくさん持って今に姿を あらわしておるわけでございます。そこで、建設省にこの文化財の活用の問題についてお伺いいたしたいと思います。
「魏志倭人伝」で話題になった環濠集落跡などは、この決断で保存されることになり、工業団地計画は三分の二に縮小された。 しかし、考古学専門家たちによれば、この広さでもなお不十分のようだ。工場用地には、奈良時代の官道、駅家、郡衙らしい跡が残っている。
私が調べたところでは、一番古い文献は「魏志倭人伝」に載っております。これは三世紀でございますが、それをひもといてみますと、倭人伝のところに、倭人は、ハジカミだとかコショウだとかミョウガだとかいうものが自生しているのに、これを食事に用いることを知らない。ところが、「人性、酒をたしなむ」こう書いてあるんです。
そして魏志倭人伝には出ておりますが、日本でははっきりしておりません奴の国の様相、あるいは金印が出ましたあの有史以前の歴史の状況等が、いま断片的に出ようとしている。 そこで、これは全九州的に、自然と歴史を守るという運動が相当起こっています。
これまで倭王が中国の皇帝に朝貢の礼をとっていたのを改め、対等な天子間の交際として話しかけ、また、倭王の倭は矮小の矮と同義でありまして、倭人すなわち矮小な人間の住む国というこのわが国の号が、軽べつを意味しておるというのでこれを用いることをやめる。「日出ずる処」、すなわち日本という国号を称されたのであります。隋の煬帝はこれを見て、「蛮夷の書、無礼なるものあり。
われわれは、倭人というのですね。アイヌは旧土人ですが、それは全然もう、地域も限られている。そうして大都市ではありませんよ。
○原田委員 大臣の御答弁で、私は、まことにけつこうであると思うのでありますが、貧弱な知識で恐れ入りますが、魏志倭人伝の中に女王卑弥呼という存在がある。それが当時魏の国に使いをして金印紫援の位をもらつた。それが隣国大国の隷属的な位に立たされておるから三国志は取上げてはならないのだという面があつたと思うのであります。
たとえば日本書紀よりもさらに古い歴史を持つておつて、そうして世界的に相当権威のある——相当じやない、権威のある三国志の中に魏志倭人伝というようなものが書かれて、古代の日本の歴史を書いておるのであります。そういうものを全然排撃するような形をとつて来ておる。こういうことであつてはならないと私は考えるのでございますけれども、大臣はどうお考えになりますか。
○山田証人 私が買いに行つたのは中央公論とか世界、改造、そういつた月刊雑誌、そのほかに「魏志倭人伝」というのもありますが、また「アンナ・カレーニナ」、「復活」とか、最近のあれでは「真空地帯」、「広場の孤独」、そういつたような雄志を主として買いました。要するに理論的なようなものですね、そういつたようなものを買つて来た記憶はありません。
そうして遂に函館に上つて、道のない險しいところを、野に宿して、噴火湾に出て、これよりずつと日本海にまた出まして、そうして小樽に行つて、札幌におちついたのでありますが、そのときにはたつた倭人が四人であつた。その四人で拓殖を始めまして、今日は一つもありませんけれども、東本願寺農場というものを至るところに興しまして、宗教というものと学問というものを中心にして、そうして北海道を開発いたしたのであります。